ひとくち伝言 平成12年10 月(114号)





 犯罪を犯したある少年が、警察の取り調べ中に、「おれは誰からも『ひとを殺しちゃいけない』と教えられたことがない」と言ったという話を聞いたことがあります。ちょっとドキッとする話ですが、よく考えてみると、実は誰だってそうなのであって、親が子供に向かって「おいタロウや、ひとを殺すんじゃないぞ」と言うことはないし、学校の先生が生徒に「みなさん、ひとを殺してはいけませんよ」などと言う場面もあり得ません。でも子供が家族や社会の中で育ってゆくなかで、言葉ではない方法で「殺しちゃいけない」 ということが自然に伝わってゆくわけで、そこのところの微妙な関係がどうなっているのか、大変興味があります。少年たちが適切な居場所を社会の中に見つけられるかどうかが大きな意味を持つのだろうと思います。
 「なぜひとを殺してはいけないのか」と面と向かって問われた時に、即座に応じることは案外難しいと思います。そんなことは当たり前で、理屈じゃないんだから、その当たり前なことをなぜと問う発想が私たちにはないからです。もっとも、もしもある人が「他人を殺しても構わない」と言ったら、その瞬間からその人は、いつ誰に殺されても文句が言えなくなります。それを禁じなかったら誰もが安心して暮らせなくなるから、「殺人は禁止しよう」という契約が社会の中に成立しているのだと説明できます。
 宗教はまた別なところから、普段は問うことのない、その当たり前なことについての根拠をきちんと用意しているのであります。春に来日されたダライ・ラマ十四世は根拠として次の二点を挙げられたと聞きました。一つは、人間は他人との関係なくしては生きていけない存在だから、他人を傷つけ、殺すことは、結局は自分を傷つけ、殺すことになるのである、ということです。我々日本の仏教の立場では、私たちのいのちは地球上の無数のいのちに支えられている、つまりほとけのいのちによって生かされているのだから、自他ともにいのちを尊ばなければならないということになります。二つ目の根拠は、人間はだれでも自分自身をいとしく思い、生きていたいと思う存在である。他人もまったく同様である。だから自分が生きていたいと思うなら、他人を傷つけ、殺してはいけないのだということでありました。チベットは一九五九年に中国軍の侵略を受け、百五十万人が殺されました。以来、インドのダラムサラに亡命政権を樹て、非暴力による抵抗を続けています。それを考えるとダライ・ラマ十四世の言葉は重みがあります。「慈悲」とは生やさしいものではないということですね。


百観音明治寺 住職 草野榮應







   ひとくち伝言板   


平成12年(仏紀2565年)10月の行事ご案内

10月 1日(日) 午前9時より  写経の会

10月 6日(金) 午後1時半より  法話の会

10月17日(火) 午後1時より  百観音月例法要
           観音経読誦と法話

10月11,25日(水) 午後6時半より 虫の音を聞きながら、坐禅の会

*満月の日は10月13日



 百観音月例法要では、みんなで大きな声を出し合って、観音経、般若心経、十句観音経を精一杯読みあげます。大きな声を出すと自然に悩みや鬱憤も吐き出され、観音さまから新しい元気を胸一杯いただきます。そして、「また元気をだして、やっていこうか」という気持で、毎日のお暮らしの中へお帰りいただく、17日は、そういうお参りの日です。
 太鼓を鳴らすのは、より深く念を込めてお経をよむためですが、応援団の太鼓と同じようなものかも知れないとも思います。寺の住職は応援団長か…。きっと、そうなのだろうと思います。

 切手代感謝録 杉浦様、村井様、魚田様ほか。ありがとうございました。
 今村稔子様から、封筒10箱をどーんと送っていただきました。大変心強く、感謝いたします。この通信も、あて先を厳選の上、毎月320通ぐらいお出ししておりますので、大助かりです。

彼岸花
 境内に彼岸花が増えました。白も少しずつ増えています。秋のお彼岸には、石仏の庭がお祭り騒ぎのように、賑やかでした。なにしろ紅白に咲き乱れましたから。白萩も風に揺れてきれいです。目立ちませんが、赤と銀の水引草や、ホトトギス、ワレモコウも咲いています。   (月々の花だよりもいいかも知れませんね)



東京都中野区沼袋二ノニ八ノ二〇
百観音明治寺 草野榮應