ひとくち伝言 平成12年12 月(116号)




 今世紀最後の「ひとくち伝言」となりました。あまり「世紀」という言葉に踊りたくはありませんが、これもひとつの節目なので、今回はお釈迦様が菩提樹のもとで覚られたと伝えられている内容を憶念したいと思います。
 ゴータマ・シッダールタ太子は、命懸けの苦行の生活に身も心も疲れ果て、菩提樹の根元に坐り、スジャータという少女の差し出すミルク粥をいただいて静かに身心を癒しました。このつまづきの後に、あのお覚りが用意されていたのですね。太子はまず、快楽も苦行も極端に走ることの不毛を悟りました。二つの極端を離れ、中道の中に静かに心を修めることこそ大切であることを、生命のよみがえりの中に覚られたのでした。
 太子は樹下に坐しながら「これあればかれあり、これ滅すればかれ滅す」という理法、すなわち因縁生起(縁起)の観法に従い、すべての物事の成り立ちと消滅とのありようをつぶさに照し見て、瞑想を深められました。そして人間が人生において出会わねばならぬ様々な矛盾、すなわち苦しみと憂いと悩みと、種々の煩悩は、無明(むみょう)という、根本的な心の闇に由来しているのだと究められたのでした。
 さらに太子は四つの諦め(明らめ)に眼を開かれました。
 第一は苦諦(くたい)であります。この世の全ては苦なるもの(矛盾)であるという真理です。四苦八苦、つまり生ある者は、生老病死の苦、求めて得ざる苦しみ、愛しき者との別離の苦、恨み憎む者と会わねばならない苦、生きるが故の種々の苦しみを、受けて立たねばならないというものです。
 第二は集諦(じったい)です。これらの苦はすべて、様々の原因と条件の集積によって生じている(縁起している)ものである、との真理です。
 第三は滅諦(めったい)です。苦が縁起によって生じたものである以上、その縁起によって滅に至る可能性があるという諦めです。
 第四は道諦(どうたい)です。苦の滅に至る道とは何か。それは八正道の実践です。すなわち、正見(正しい見解)、正思(正しい思惟)、正語(正しい言葉)、正業(正しい行い)、正命(正しい生活)、正精進(正しいつとめ)、正念(正しい心の把握)、正定(正しい心のすわり)の八つであります。どういう意味の正さかというと、三つの毒(貪りと怒りと愚痴=自己を中心に置こうとする思い)を離れ、全ての存在を縁起するもの、即ち無常であり、無我なるものであると知る、という意味での正さであります。仏陀はそのおさとりを味わいきるために、三十五日の間坐り続けられたのでした。

百観音明治寺 住職 草野榮應













   ひとくち伝言板   


平成12年(仏紀2565年)12月の行事ご案内

12月 3日(日) 午前9時より  写経の会

12月 6日(水) 午後1時半より  法話の会

12月17日(日) 午後1時より  百観音月例法要
              ・・・納めの観音法要・・・

12月13,27日(水) 午後6時半より 今世紀を省みる、坐禅の会




 3日(日)の写経の会の後、恒例により気の早い年越し蕎麦を皆でいただきます。年越しと同時に、「世紀越し蕎麦」でもあります。でも、蕎麦の長さは多分同じはずです。いただきながら積もる話もしたいですが、百年分の話をするには、相当時間が要りますね。
 「細く長く」という願いは、江戸を生きた人の知恵かも知れませんが、これからは大いに注目される考え方かも知れませんね。大晦日に、金箔を扱う職人が蕎麦粉を用いて1年分の金の屑を拾い集めたのが、年越し蕎麦の由来と聞きました。豪華なような、いじましいような。でも、その金粉の混じった蕎麦粉は食べられないわけですね。贅沢なのかも知れません。

 17日の納めの観音供では、皆様に色紙をお渡しして、観音様へのメッセージでも、一言ずつ書いていただけたらと思っています。百年後の人が読んだら、「この時代に生きた人も、それぞれに精一杯胸を膨らませて願いを抱き、感謝しながら暮らしていたんだ」と、共感してくれるかも知れません。

 郵送料奉納 感謝録
 笠木千束様、寺沢愛様、魚田順子様、杉浦暁美様、人見君江様 ほか。
                       ありがとうございました。



東京都中野区沼袋二ノニ八ノ二〇
百観音明治寺 草野榮應