ひとくち伝言 平成14年10月
(百三十四号)



 久しぶりに耳や目に触れるものは、新鮮な驚きを以て「再発見」されるものです。たとえば3か月ほど都心の病院の5階で暮らしたのち、幸いにも自宅に帰ることができましたが、帰ってみるとしーんと静かなことに驚きました。車の入りずらい路地の奥にあるわが家で聞こえる音というのは、せいぜい人の足音や話し声、カラスのなき声や近所の犬の声ぐらいのものなのですが、そのカラスだって上の方から聞こえてくることは新鮮でありました。しかも朝には、やまばと(きじばと)の控えめな声も静かに聞こえてきて、「ぐるっぽぽー、ぐるるっぽぽー」という、なつかしい声に出合えたのは喜びでした。
 ふとそんなとき、路地の奥の方で犬が吠えたので、「あ、犬だ」と言ったのを覚えています。人が通りかかれば必ず吠える犬だそうですが、さっきは散歩の犬とにらみ合いが始まりました。すると、「あ、ケンカだ、ケンカだ、すごいや」と、興奮してしまいました。なにしろ2匹が吠えていたのですから。
 きのうの朝は、よいものを聞きました。木の梢を吹きわたる風の音が、かすかに「さわぁぁぁ」となっていたのです。台風の風音ではなく、微風になびく梢の音など、以前は聞き逃すだけだったに違いありませんが、よく聴けばそれはなんと心地よい音であることでしょうか。
 話は飛びますが、生まれて初めて海というものを見たときのことを思い出します。誰にも初めて海を見るということがあり、そのときはさぞ驚くのだろうと思いますが、私はぶるっと震えんばかりの驚きとともに、あの大洗海岸の海原を見たのでありました。
 小学2年ぐらいのことでした。栃木県という海無し県に育った私は、夏休みの臨海学校に参加しました。銘々お米を一升とか持たされて、貸切りバスで、八溝山脈を横切って海へ向かったのでした。山道にくたびれていた私は早く海が見たかったのですが、海は最後まで姿を見せませんでした。海岸の手前が堤防のように盛り上がっていて、そこが道路になっていたからです。そしてバスがそこにずんと乗り上げた瞬間、眼前には海が広がっておりました。波が打ち寄せ、沖の岩に波が砕けて、出てゆく漁船がドドドッと音をたてている…。その広さもさることながら、海とは常にこんなに大きな音がしているものとは思ってもみなかったので、ただただ圧倒されるだけでありました。
 いまはこれに匹敵するような驚きと感謝を以て、わが内なる潮のめぐりに圧倒されています。新しいいのちを受けたばかりのような物の見方をしたいと、思いました。初めて海をご覧になったときを覚えておいでですか。
(榮)






  ひとくち伝言板  

明治寺;〒165-0025 東京都中野区沼袋2-28-20



平成14年(仏紀2567年,西暦2002年)10月の行事ご案内


10月 6日(日) 午前9時より  写経の会

10月17日(木) 午後1時より  百観音月例法要 (観音経読誦の会と法話)

※今月の法話の会と坐禅の会は、お休みといたします。悪しからずご了承ください。




  住職退院のご報告
 長らく順天堂医院にて、入院治療を受けておりました住職でしたが、おかげさまで、9月14日に退院することができ、時折通院して治療を続ければよい状態になりました。約3か月の間、前触れもなく御無沙汰を申し上げ、いろいろとご心配をおかけいたしまして、申し訳ございませんでした。また、多くの方からお問い合わせをいただいたりお心遣いを頂戴いたしましたことをうかがい、しみじみありがたく存じました。そのお気持ちが、回復に向けて大きなはずみとなり、よい効果をいただいたものと信じております。
 また、今までは全く知ることのなかった病院というところに暮らす人々の気持ちを知ることとなりましたが、それは大きな道しるべとして、これからの大切な財産となってくれそうであります。何よりも、からくも命を助かって観音様の前に坐っていられることのありがたさを、深くふかく思い知ることとなりました。
 みなさまも、どうかお身体をお大事になさってください。

 もうひとつのご報告
 去る8月28日、高野山蓮華定院のご本堂におきまして、長男、仁孝(よしたか)が得度いたし、戒師様より『榮雅(えいが)』という僧名を賜りました。得度とは頭を剃り仏弟子として入門し、やがて修行道場に入ることを決意したということであります。修行は来年4月より1年間の予定ですので、それまでは明治寺に居住して、見習いとして寺の仕事を手伝うことになっております。
 どうぞ榮雅に対しては、親しくお気軽にお声掛けをくださるよう、伏してお願い申し上げます。 (住職)
 
 切手代感謝録
 石塚篤樹様、野田瑠璃子様、魚田順子様、杉浦暁美様、ほか




東京都中野区沼袋二ノニ八ノ二〇
百観音明治寺 草野榮應