ひとくち伝言 平成14年11月
(百三十五号)



 ノーベル賞受賞の報道が相次いだ時には、とかく沈みがちな近頃の日本社会を文句なしに明るくしてくれて、よかったですね。特に二番目の受賞が伝えられた田中耕一さんの大あわての様子は、日本中を爆笑させてくれました。授賞式の晩餐会には夜会服で出席し、夫婦でダンスを踊らなければならないそうですが、その時はせいぜい優雅に、慌てていただけばよろしいのですよね。
 さて小柴博士の受賞の話ですが、ニュートリノとは百兆分の一ミリ位だそうで、実は大きさも計れないほど小さいのだそうです。博士はそれが必ず観測されるはずと見込んで、二千メートル近い深さの廃坑の穴の底に、とてつもなく大がかりな観測装置を造って待っていたら、ノーベル賞を連れて飛び込んだわけですね。それにしても、それまでは誰も見たことも観測したこともなく、
「理論上、こういうものがあるはずだ」と言われるだけのものであった粒子ですが、科学者というのはそれを、あそこまで信じることができたんですね。やはり誰にもできるような、並大抵のことではなかったわけです。
 観測された粒子は、十七万光年も離れた大マゼラン星雲の中の、超新星の大爆発から発していたものだと言われました。恒星の宿命を一身に背負い、宇宙をひたすら飛び続け、銀河の中の太陽系の小さな惑星の、日本という島国の中の、しかも井戸のようなところへ飛び込んできたのが観測されたなんて、気が遠くなるような話です。携わっていた科学者たちは、「よりによって、よくぞ
ここへ飛び込んでくれました。いらっしゃい!」と言いたかったでしょう。
 小柴博士の受賞が決まった時、受賞を祝う横断幕が地元の駅舎(または役場)
に張り出されたのが、テレビの画面に映りました。たしかその幕には、「ニュートリノ発祥の地 神岡町」という添え書きが見えました。書いた人の名誉の為に言えば、「ニュートリノ観測による、新しい天文学の発祥の地」ということが書ききれなかっただけなのでしょう。でも、神岡町の地の底で超新星の爆発があったのでないことは、踏まえておかなければなりません。
 それはともかく、やって来たニュートリノに向かって何と言いたいかという話ですが、中には「どこかで宇宙戦艦ヤマトを見なかったかい?」と訊きたい人もいるかも知れません。私なら「ずっとひとりぽっちで、さびしくなかったかい」と訊ねてしまいそうです。または「よくがんばったね、そんな小さな体
で…」とか。私は「夢千代日記」を読んだばかり、ということもありますが。
 ふと気付けば、どちらの受賞にも共通していることがあるような気がします。それは、「見えるもの」と「見えないもの」の間の、遥かな問題を、なんとか
究めようとしていることだと思うのです。
(榮)






  ひとくち伝言板  

明治寺;〒165-0025 東京都中野区沼袋2-28-20
草野 榮應



平成14年11月の行事ご案内

11月 3日  午前9時より  写経の会

11月17日  午後1時より
  百観音大祭大護摩供 ならびに 境内石仏総供養

※護摩ふだご希望の方は、あらかじめお申し込みをお願いします。
おふだ1体、3,000円 でございます。。




 今年は早くも、先代住職榮龍大僧正の十七回忌にあたります。17日の護摩法要の終わりには、ご参詣の皆様のお力をお借りして、一巻の般若心経を手向ける場面を、持たせていただきたいとお願い申し上げます。
 「住職は退院することができて、ほぼ順調に回復に向かっており、いまや、限りない感謝の思いに包まれています…」という報告が、霊前に向かって行えることを、なにより有り難いことと思っています。
 親しい人からの一言、「病気することは、決して無駄にならないからね。」は、 心身疲れた私を、ほっとさせてくれました。確かに、その体験のある人はその分だ け人生の受け皿を深く持つことだから、やさしさという力になるのですね。
 そしてその言葉は、先代住職が何気なく言い残した言葉、「世の中に、無駄なものはないからね。」にも重なることだったので、「ああ、そうだ、そうだったんだ」と納得することができました。


 朝晩、急に冷え込むようになりましたね。そのかわり、気持ちよく晴れ上がっていた今日、境内のいちょうの木をじっと見上げておりました。午後の日差しが照っておりましたが、葉の色はまだ緑で、色づきの気配だけ感じられました。
 一本の繁った大木が立っていれば、日の当たっている葉と、仲間の葉の陰によって完全に日陰者になってしまう葉と、二通りができてしまうに違いないと思っていたのですが、よく見ると、どの葉にもほぼまんべんなく日ざしが当たっているのですね。太陽が東から西へ移ることもありますが、実に見事に、枝の角度と葉の繁りが計算されていて、太陽は隅々の葉まで照らしていたのです。
 境内に大木は何本もありますが、今年もあれだけの葉が一生懸命働いて、水を吸い上げ、空気を清めてくれたのでした。いずれ散るはずですが、ひとつひとつの葉に、「ごくろうさん」「お疲れー」と言いながら、かき集めてやらねば、と思って います。