日頃のお力添えを感謝し、新春のご挨拶を申し上げます。そして、
みなみな様のお門には、ご健勝と更なる福徳の到来を、ご祈念申します。
本年もどうぞよろしく、ご厚誼の程を願い上げます。
七十二才のご婦人が幼年時代を回顧して、こう語ってくださいました。
まだ小学校へ上がる前の頃、その方のおばあちゃんはよく、「おまえも一緒に行
くかい。」と、お寺の説法にさそってくれました。他にこれと言った娯楽もなく、
行けば飴玉がもらえる楽しみも手伝って、よく手を引かれて通ったものだそうです。
お説法で聴いた話の内容はほとんど覚えていませんが、たったひとつだけ、たいへ
ん分かりやすい話で、すんなりと心に入ってきたお話がありました。今でもよく覚え
ているそうですが、それは、人として生まれるということは大変なことなんだ、とっ
ても「有り難い」ことなんだということでした。ではどれほど難しいことかというと、
たとえばここに一本の針があるとしましょう、針には糸を通す穴があります、その穴
をめがけて天から一本の糸が垂れ下がってくる、風にふわふわなびいたりして、糸が
針の穴を通るなどということは気の遠くなるほどありそうにもないことだけれども、
万が一それが通ったとすればそれはとんでもなく希有なことであります。そして「わ
たくし」という一人の人間が生を受けるということは、それよりもっとはるかに得難い
ことなんだ、尊いことなんですよ、というお話でありました。
その方は七十二才になりますが、折りにふれてはそれを思い出しつつ人生を歩んで来
られました。それはきっと、手を引いてくれたおばあちゃんの手のぬくもりの思い出
と共に、心を懐かしさで一杯にしてくれたのでありましょう。だから、
「どんなに辛いことがあっても、自殺しようなんていうことをひとつも思わずにこ
れたんですよ。」と、おっしゃるのでありました。
このお話を聴いて、私はしみじみと思うものがありました。多分、そういった話が
幼い心にすっと受入れられ、印象に残るというのは、その幼な子が十分に愛されてい
たからなのでありましょう。しかしそれはともかく、「人身受け難し 今既に受く」
という教えはお経本の最初の最初に出てくることで、ともすれば当たり前のこととし
て見過ごされがちですが、それがしっかりと心の底に据えられる時、それはその方の
一生涯を護ってくれる宝物となったのでありました。私、迂闊にもこんな宝物を身近
に持ちながら、その重大さに気付きませんでした。これからは、幼い子供には何とし
てもこのお話をしてあげようと思います。皆様も、身近にお小さい子供さんがいらっ
しゃったら、ぜひこのお話をして差し上げていただきたいと、お願い申し上げます。
本年も、どうぞ心身すこやかにお過ごしくださいませ。
次のページに今年一年の行事予定を掲げさせていただきます。ご参照くださいませ。