小学館から、TBSラジオの全国子供電話相談室の本が出ました。話題探しに関して、私は随分この番組にお世話になっていります。子供というのは不意に、身の蓋もない事をきいてくるかと思えば、思わず唸ってしまうようなことを尋ねたりするから、面白いものです。そして願わくは、そういう子供の心からそう遠くへは離れたくないものだと思っています。 「地球は回っているのに、なんで人間はころばないんですか。」なんていい感覚をしていますよねぇ。すぐにでも答えが出せそうですけれども、あんまり簡単に答えてしまわず、その子供の心をもっと味わっていたいような質問だと思います。有名な「へびはどこからしっぽ?」もそうですけれども、「しまうまは黒に白のしましまですか、白に黒のしましまですか?」なんていうのも、なかなか楽しめます。この質問を宿題として持ち帰った獣医の兵藤哲夫先生は、気の毒に、しまうまの毛をバリカンで刈ろうとしたけれども無理だったので、黒と白のぶち猫の毛を刈って調べたそうです。そしたら黒い毛も白い毛も白い皮膚から生えていたので、多分しまうまも白地に黒いしまが正しいと思うと答えておられました。その猫こそいい迷惑でしたが、子供の好奇心を育てるために貴重な役割を果たしたことになります。しまうまの模様を見ているうちに、あのように二通りの見方ができてしまう柔軟さに、私などは感服していますが。
私が覚えている中では、「消えたろうそくの火はどこへいっちゃうの?」というのがありました。はて、「消えたろうそくの火」というのはあり得るだろうか…。消えてしまったらすでに火ではないのですから、それは矛盾であるはずなのに、言葉の世界ではあり得てしまうというところが実に面白いわけです。「消えたろうそくの火」という言葉でその女の子が指しているものは、彼女の心の中に印象として明るく灯っているろうそくの火なのでありましょう。目の前にはもはやそのろうそくの灯は消えてしまっているけれども、かつてそれは彼女の心をあかあかと照らしていた、その事実は消えていないと言っている訳であります。それがもはや目の前になければ、お母さんが買い物に行っているから姿が見えないのと同様に、それはどこか見えないところへ行ったのであって、フッツリと消滅したのだとは理解がおよばないのですね。「消えたろうそくの火はねぇ、ともし火の故郷に帰っていったんだよ。」と、答えてあげたい気がしますね。何だか、荷物をまとめていなかへ帰ったみたいな言い方になりますが…。
(栄)
11月の行事ご案内
◆11月2日(日)午前9時より 写経の会
◆11月6日(木)午後1時半より 法話の集い
◆11月17日(月)午後1時より 百観音大護摩供と法話
境内石仏総供養
◆11月12,26日(水)午後6時半より 坐禅の会
◆11月9日(日)午後4時より 阿字観入門(第2日曜夕方)
※ 11月は石仏総供養の月です。今年は、銀杏の黄金色に染まった境内を、落ち葉踏みしめながら観音さまを拝んで歩くという具合になるでしょうか。同じ緑でも、春の緑、夏の緑、そして秋の緑があることを思っています。
※ 杉浦様、魚田様、匿名様、切手代のご奉納ありがとうございました。
※ 先日、ふとしたことで雲照律師の掛け軸が到来しました。あの独特の、かみそりのように鋭い筆跡で書かれてあるのは、七佛通戒偈(しちぶつつうかいげ)です。
「諸悪模索 衆善奉行 自浄其意 是諸佛教」
これを意訳すれば、「悪いことをしちゃいけません 善いことをたくさんいたしましょう そしてやがては、みずからこころを清めていきましょう(おのずから、清まっていくのです) 諸佛の教えというものは、とどのつまりはそういうことです」ということになりましょうか。あらためてその筆跡に接する時、この「善」を掲げて仏教を守り通した雲照律師の気概が伝わってきます。 明治の初めに、新政府は仏教を廃止して日本古来の神通を国教と定め、それを拠り所として近代化をすすめてゆこうという政策を選びました。(要人達が海外に視察に行くと、欧米では人々が盛んにキリスト教を信仰しているのを見るわけです。それまで宗教などは近代化には邪魔なだけだと思っていた要人達が、やはり宗教をかなぐり捨てる訳にはいかない、近代化のためには何らかの宗教を柱に据えて国民の心をまとめてゆくべきだと考え直し、神道を選んだのでした。)やがて廃佛棄釈の嵐が吹き荒れ、「もうこんなものは要らない」とばかり、本当にたくさんの寺や仏像や経典が破壊されました。仏教寺院が徳川政権から手厚い保護を受けていたことの反動もあるのだろうと思います。
そういう逆風の嵐の中で、雲照律師はひとり憤然と立ち上がり、仏教を廃することは人倫の道を否定することだ、そんなことをすれば国造りの根本を誤るぞと主張し、この七佛通戒佛を掲げ、十善戒を説いてまわりました。仏教というものは、人を殺すな、盗みをするな、嘘をつくなということを、教義の中できちんと説いている宗教であることを示したのでした。多くの人はそこで初めて、何も知らずに捨てようとしていたものの中にも、捨ててはならないないものがあったのかと認識したのでした。その奮闘の生涯の中で、やがて雲照律師は明治の傑僧として世の尊敬を集め、仏教が日本から廃れてしまうのをとどめるのに大きな功労があった、大恩のある人として今に伝えられています。その獅子奮迅のさなかに律師が書かれた書がこれですから、見ているうちに背筋がしゃんと伸びてきてしまいます。
現在の政治や経済に起こっている事件を聞くにつけ思うのは、ひとつのものが崩れかかった時、「正しさ」以外に身を護るものは結局何もないのだという事です。
しばらく本道の脇間に掛けておきますから、どうぞご覧になってください。
雲照律師のことをこうしてお伝えできる機会があったことを、嬉しく思います。
※ 今年はまだ2か月も残ってるぞと、自分に言い聞かせているこの頃です。では……
東京都中野区沼袋二ノニ八ノ二〇
百観音明治寺 草野榮應 3386-3937番