ひとくち伝言     平成10年11月(95号)





 高田馬場駅で山の手線を待っていたら、アザラシの母子の大きな写真が目にとまりました。果てし無い氷原に大小の二頭がごろりと横たわり、赤ん坊アザラシが母親の胸元に顔を寄せています。母親アザラシは、ひれのような前足を赤ん坊にかけて、目を細め見守っているようです。まさに母性愛を絵に描いたような図柄です。そして、その写真には次のような文章が添えてあったのでした。
  アザラシの親子の時間は二週間。
  あっという間にやってくる親離れの時、
  大切なことが別れによって伝えられます。
  母の姿を求め鳴くことをやめる時、
  子供は厳しい自然を、生きることを、
  覚えはじめます。(JR東日本企画)
 この広告にじっと見入ってしまいました。この言葉が心に住み着き、私の中でコトコトと、何か作用が始まっているのを感じていました。
「大切なことが別れによって伝えられます…」この文章にははっとします。多分母親アザラシは、子供にすべきことをちゃんとやったと知ると「もー私限界やわ。餌とりに行ってこよ。ほな、元気でなー」とでも言わんばかりに、すたこらと行ってしまうのでしょう。あるいは、他の野生動物と同じように急に牙を剥いて赤ん坊を追い払うのかも知れません。訳もわからぬままにとり残された赤ん坊は、「おかあちゃん、おかあちゃん」と呼んで呼んで呼び続け、やがて疲れて呼ぶのをやめた時、はじめてそこに、氷原にぽつんと一人居る自分を見出すのです。その時子どものアザラシには、どこか遠くからの伝言が伝えられるのです。
「この厳しい氷の世界で、おまえは生きていくのだよ。」
 別れというものの中に仕組まれているはからいの、なんと過酷で、美しいことでしょうか。アザラシは子供の生きる力と、子供を育む自然の力とを疑うことがないのですね。そして私は、親子という関係の中には本来的に別れが備わっているということを、思わざるを得ないのでした。
 ところでこの広告は、空き看板を埋めるために貼られた広告会社の広告なのです。もしかすると「伝えるということは、奥が深いですね。」ということを言いたかったのかなと思います。しかし、「伝える」の一方では「伝わる」という世界もある、それぞれに限りなく奥が深いですね。

(榮)












   ひとくち伝言板   

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平成10年11月の行事ご案内

11月1日(日)  午前9時より  写経の会
11月17日(火) 午後1時より  大祭護摩法要ならびに境内百観音石仏総供養
11月11・25日(水) 午後6時半より  坐禅の会



百観音境内を「見学」や「見物」にくる団体の人々の他に、趣味の写真家たちが「境内の観音さんを撮影させてください」と言って、訪ねてくることも少なくありません。二、三人ならいいのですが、ある時、アマチュア写真家の団体が突然やってきて、写真家の先生の指導のもとに撮影会をやりたいと言ってきました。以前に一度そういうことを許可したら、30人もの人が石仏に群がりあるいは岩組によじ登って、思い思いにカメラを向けている光景が繰り広げられました。それを眺めて、なんと醜い景色だろうと思ったことがありました。こうなると観音さまが撮影会の道具にされ、晒し者にされてしまうことになり、ひどく耐えがたい思いだったので、それはお断りですと答えました。
 すると、予定が狂って立場が無くなったものだから、主催者が食い下がってきました。「私たちはそんな心ない人達とは違い、ちゃんと祈りの心を持っています。柔和なほとけの美しさをいいなと思っているのです。」…
「せっかく来たのに」とか、「先生に無理を言って来てもらったのに」と言う人や、中には、「野の仏を写すのが、私流の供養なんですから!」などと怒る人もいます。さて、そういう人々を前に、こちらの考え方を説明するというのはとても大きなエネルギーが要ります。
 「このお庭に並んでいるどの観音様も、建て主の家の方にとっては一家の歴史を貫く祈りの象徴であり、大事なものなんです。それをむやみに寄ってたかってお姿をむさぼるのは、観音さまや、そのお家の方に失礼だし、それをお守りしている者として申し訳が立ちません。たとえばですね、あるバイオリンの名手がストラディバリウスを持っていて、それを命よりも大切にしていたとします。突然やってきた人がそれを肩たたきに使ったら、持ち主は怒りだすでしょう。やはりバイオリンは弾くもの、観音さまは拝むもの。写真のモデルではないのです。」などと、柄にもなく私は大演説をぶってしまいました。

 11月17日は総供養と言って、境内の石仏を皆でお参りして、お線香の煙と祈りの声で一杯に満たす行事を行っております。お庭の観音さまを史跡(歴史の跡)ではなく、今ででも生きた信仰の中にたたずむ石仏として守り続けるのが、百観音のテーマなのだと、その時から強く思うようになりました。アマチュアのカメラマンさん達には、感謝しなくてはなりません。


 仏教情報センターが発行している、来年のカレンダーを制作中です。
今年はメモ欄の上に掲げる言葉に苦心しました。少しだけご披露します。

干し柿の 渋のまんまが 甘みかな
すがたより 香りに生きる 花もある
悩みをなくそうと努力する人は多いが、「悩んでいけるようになりました」という人に心引かれるものがある。
どうぞ平成11年板のライフカレンダーも、ご愛用ください。