ひとくち伝言 平成11年3月(98号)





 世の中で初めてなまこを食べた人は偉いと、誰でも一度は考えたことがあると思います。また、岩つばめの巣だのフカのヒレだの、最初に食べてみようと思いつくだけでも尊敬せずにはいられないような食べ物が、結構あるものです。いったい何をきっかけにして人間がそうしたものを食べるようになったのかと考えると、興味は尽きませんね。私は多分、食料難がきっかけとなった場合も多かったのではないかと想像しておりますが。
 また、キノコにも食べられるものと有毒のものとがあることを私たちは知っていますが、最初はその知識を得るのだって命懸けだったに違いありません。命のかかったことであれば、何としてでもそれを語り伝えてゆかねばならない訳ですが、今のようなメディアのない大昔でも、人間はそれを結構ちゃんと伝えてきたあたり、不思議といえば不思議な話です。
 坂口安吾はふぐを論じました。大昔は何も知らずにふぐを食べ、その毒に当たって命を落とす人も当然あったであろう、その際には二種類の人があったはずだと言うのです。第一は、死の間際に「この魚は、命を落とすから絶対に喰うな」と言い残していった人々。(「ふぐは絶対喰うな。でも、うまかった。」と言った人もあったかも知れません)。第二はごく少数だろうけれども、こう言い残した人たちです。「この魚は危険だが、実に美味である。たとえ命をかけても、安心して食べられる道を切り開いてほしい」と。今日我々がふぐの恩恵にあずかれるのは、そういう人がいたからに他ならないと、坂口安吾氏は言うのでした。
 しかしそう言われたって、本当にそれをやろうとした人はそれほどはいないはずで、ごくごく稀に、命知らずの変わり者がそれを試みたとしても、やはり大方は命を落としたに違いないと思うんです。大変な犠牲と苦心の末、やがて安全な調理法が見つかり、こことここの部分を外せばいいという知識が確立して行ったとします。それでもなお、その知識を人づてにずーっと伝えてゆくという営みがなければ、それは今に伝わってはいないのです。そういう気の遠くなるような、諸々のことがあってはじめて、ふぐを食するという日本の食文化があるということがわかります。何だか食いしん坊な話になってしまいました。
 お彼岸というと直接のご先祖のことだけを考えてしまいがちですが、ふぐに限らず、どんな当たり前な事にも、そうした意味での「ご先祖」のおかげというものがあるはずですと、それが言いたかったのです。
(榮)






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平成11年(仏紀2564年)3月の行事ご案内

3月  6日(土) 午後1時半より  法話の会

3月 7日(日) 午前9時より  写経の会

3月 17日(水) 午後1時より  百観音月例法要 ならびに春彼岸 おせがき法要

3月10,24日(水) 午後6時半より ゆったりすわる、坐禅の会




 2月3日の節分を、にぎやかに行うことができました。感謝いたします。
歳男歳女やおふだのお申込み、撒き物ご奉納など、たくさんのお力添えをいただき、ありがとうございました。

 4月8日(木)終日 花まつり(降誕会 ごうたんえ)

 午後7時より花まつりチェンバロ・コンサート 演奏 武久源造
  入場料3000円/前売り2500円

 1口1万円のご協賛を、今年もよろしくお願いいたします。演奏家への謝礼、楽器運送費、会場設営費などに使わせていただき、残りの収益は、CYR・幼い難民を考える会を通じて、カンボジア、タイの女性やこどもへの支援に使われます。


 丸山小学校の3年生の質問に、こういうのがありました。
「とっくりのようなものを片手にもっている観音さまがありますが、コップを持っていないのはなぜですか。」
 とっくりみたいなものと言っているのは花瓶のことで、当然それは蓮の花を入れるためのものです。もしも、とっくりとコップを持つとすると、観音さんは手酌でちびちびやっているの図になってしまいますね。でも観音さんは自分だけで楽しむことはしないはずなので、必ず「あなたもどう」と言って、すすめてくれるはずです。あ、それでは観音さんと酒盛りになってしまいますね。





東京都中野区沼袋二ノニ八ノ二〇
百観音明治寺 草野榮應