ひとくち伝言 平成11年12 月(106号)





 釈宗演老師といえば、鈴木大拙や徳富蘇峰などの師であるとともに、欧米に日本の禅を広めることに大きな功績のあった方として有名です。そんな傑僧でも、修行中の少年時代は真面目一本とは限らなかったようです。建仁寺の坐禅道場におられた頃、塾頭さん、つまり道場の寮長は、後進の指導に実に熱心な方で、ということはすなわち、鬼より恐い人だったのでした。
 ある夏の日、塾頭さんは、「用事があって出掛ける。帰りは晩になるだろうから、留守番を頼む。」と言って、お出かけになりました。滅多にないことなので小僧さんたちは大喜びでした。さあ、何をしようか…、一番やりたいものは昼寝だということになって、皆それぞれに適当な場所を探して、手足を伸ばしてゆっくり昼寝を楽しもうとしておりました。宗演さんは当時下っぱだったので、あまりよいところを見つけることができず、一番奥の、渡り廊下の板の上に大の字になって寝ることにしました。
 ところが油断大敵とはこのことで、塾頭さんは忘れ物をしたらしく、ひょいと戻ってきたのでした。さあ大変。急遽警戒警報が発令され、小僧たちは飛び起きて、なにくわぬ顔で掃除に戻りましたが、奥で眠っていた宗演さんまでは合図が届かなかったのでありました。まずいことには、彼が寝ていた渡りは塾頭の部屋へ通じるところでした。彼がはっと気がついた時にはもう遅すぎたのです。こうなったら仕方がない、鬼の塾頭にどやされるまで、気づかぬ振りをするほかはないと判断し、腹を決めてそのままふて寝を続けておりました。そこらへんの事情は、実によく理解できますね。
 宗演さんは渡りを完全にふさぐ形で寝ておりました。いつ拳が落ちるか、平手が飛ぶかと覚悟を固めて、まんじりともせずに横たわっておりました。塾頭が来ました。そして立ち止まる…。しかし、次の瞬間、思いもかけぬことが起こりました。塾頭は深々と一礼してから、彼をそっと跨いで通りぬけていったのであります。宗演さんは拍子抜けでした。そして同時に、熱いものが彼の中をよぎったのでありました。
 ここで問題です。塾頭はなぜ深々と一礼して通り抜けたのでしょうか。宗演さんを跨ぐということは、同時に何者かを跨ぐことになることを詫びて、深く一礼しました。それは仏性に対しての一礼だったと、私は思います。
 さらに重要なことは、宗演老師が晩年になってからも、若い時のこの一件を思い出され、涙を目に浮かべながら語っておられたということです。「居ますが如く」の振る舞いが、「居ます」の信を導いたと言えます。
(榮)






   ひとくち伝言板   



平成11年(仏紀2564年)12月の行事ご案内

12月 5日(日) 午前9時より  写経の会
   (会の終わりに、気の早い年越しそばをいただきます)

12月 6日(月) 午後1時より  法話の会

12月17日(金) 午後1時より  百観音大護摩法要 納めの観音供

12月8,22日(水) 午後6時半より 坐禅の会
    † 12月8日はお釈迦様がさとられた日です。




 12月10日(金)午後1時より
成道会(じょうどうえ)の集い 
       主催 東京都仏教連合会

会 場:九段会館大ホ−ル(地下鉄東西線・都営新宿線「九段下」下車)
入場料:1000円 お問い合わせ 徳蔵寺 3491-2571
式 典:1時より
講 演:立松和平 「お釈迦様、その人へ」( 1:30〜)
講 演:養老孟司 「都市と仏教」(2:50 〜4:00)
   ・ご希望の方は会場で直接、当日券をお求めください。



 ご報告
 11月20日には、「笛とことばの調べ」のリサイタルが行われ、大勢の方がお出かけくださいました。やわらかに澄んだ笛の音が本堂を包み、石仏にまつわるものがたりに静かに耳を傾ける夜となりました。大野利可さんが笛を吹きながら庭の奥へ姿を消してゆくというフェイドアウトのエンディングは見事でした。井出聖子さんの創作になる物語が、うまく現実につながったようでした。
 それにしても、特別の防音設備もないのに、こんな静かで風流な催しが楽しめる贅沢を、いつもつくづくありがたいと思っています。(すぐ脇の通りを、「石焼きいも〜」が通ったらどうしようと思わないでもなかったのですが…)

 切手代感謝録 杉浦暁美様、広田寿男様、魚田順子様、佐野智恵子様、ほか。


東京都中野区沼袋二ノニ八ノ二〇
百観音明治寺 草野榮應