百観音とは?
「百観音」とは、近畿一円に広がる西国(さいごく)三十三観音と、関東地方の坂東(ばんどう)三十三観音、それに秩父の周辺に広がる秩父三十四観音の札所
(ふだしょ)を総称したものです。
例えば京都の清水寺は西国の第十六番札所ですし、浅草の観音様は坂東第十三番になっています。
その「百観音巡礼(じゅんれい)」が盛んになったのは五、六百年前からだといいますが、大勢の人々が、それぞれの願いを背負い、何ヶ月もの旅をしながら寺々を参拝して歩いたのです。
この庭園に立ち並ぶ観音石像は、その百ヶ寺におまつりしてあるそれぞれの観音様方、例えば聖観音 (しょうかんのん)や千手観音 (せんじゅかんのん)、十一面観音 (じゅういちめんかんのん)等々のお姿をいただいて石に刻んだもので、これを「写し霊場(れいじょう)」といいます。ここには番外の観音様も増えて、現在のところ百八十体以上になっておりますが、いずれにせよ、ここに居並ぶ観音様をー通りずーっと拝んで行きますと、百観音札所のすべてをお参りするに等しいご利益(りやく)を授かることになります。あるいはこのすべての観音様と、縁結びができると言うこともできるでしょう。
観音巡礼の由来をたどると八世紀の初頭まで溯 (さかのぼ)ると言われます。伝えによれば、徳道上人(とくどうしょうにん)という和尚様が生死の堺をさまよわれた時に、閻魔(えんま)法王がその夢の中に現れて、「衆生(しゅじょう)の救いのために三十三ヶ所の観音札所を開設し、写経を納めて礼拝
(らいはい)した人々には信心の証(あかし)として朱印
(しゅいん)を授けるように。」と告げて、三十三個の印を与えたと言います。このようにして初めて西国三十三ヶ所巡礼が始まりました。坂東霊場と秩父霊場が順次、鎌倉時代の頃に成立したと言われます。
※写真撮影に関して
当山では、原則として仏像の写真撮影をご遠慮いただいております。これは、写真を撮るということも仏様のお姿を写す「写仏」でございますので、相応の作法や礼儀、心構えを持っていただきたいと考えるためです。
