ひとくち伝言 令和8年3月
昔、友人が「楽するためなら、どんな苦労も厭わない!」と宣言をしていて、なんだか矛盾を感じてしまいました。
不真面目なのか、勤勉なのか。
まるで「健康のためなら死んでもいい」という名言?のような不思議さです。
でも考えてみれば、楽のために頑張るって、意外と普通のことかも知れません。
効率を良くするために工夫をしたり、休日にゆっくりするために仕事を頑張って終わらせたり。
いずれ安楽(しあわせ)になるために必要なら、多少の苦労も我慢できます。
それに、苦難を乗り越えた時の感慨が大きいのも事実。そういう経験は自信にも繋がりますしね。
ただし「苦しんだ分、幸せになれる」とか、「苦しいから正しい」と考えてしまうと、自分をどんどん苦しい方向へと導いてしまいます。
薬は苦くないと効く気がしないとか、価格が高くないと価値が無いとか、辛いからこそ真実の愛だとか。
代償や犠牲が最大限に報われて欲しいという願望で目が曇り、いつの間にか、単なる一つの尺度に絶対的な正しさを求めてしまうわけですね。
そういう見方を離れて、自分自身でちゃんと正しいことを見抜ける目を持ちなさい、と仰ったのがお釈迦様。
王子様として楽を極め、厳しい苦行に耽(ふけ)るという両極端を経験した末に、お釈迦様は悟りました。
楽とか苦とかにこだわるべきではない、と。
だって、目的地への道筋は、しんどい時もあればそうでもない時だってあるわけです。
山登りですら上り坂だけとは限らない。
なのに、目の前の道が上りか下りかだけを基準にして道を選べば、迷子確定です。
当然、上りでも下りでもない「真ん中の道」や「ちょうど良い道」が正しいわけでもありません。
ちょうど良いペースというのはありますけれども。
この考え方を発展させて、有りだとか無しだとか、無常だとか永遠だとか、同じだとか違うとか、汚いとか綺麗だとか、多いとか少ないとか、聖だとか俗だとか、とにかくそういう対立する概念から離れて物事を見ることが、仏教の基本姿勢となりました。
一方的な視点や固定観念に縛られず、物事を正しく見ようとすること。
そして、そうあろうとする自己研鑽の道を、仏教では「中道」と言います。
とまあ、昨今いろいろ考えるところがあって、私なりに中道を語ってみましたが、これも一つの見方くらいに考えていただければ幸いです。
なにせ、一方的な視点を離れるのが「中道」ですから。
草野榮雅 拝
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令和8年3月~6月の行事予定
3月1日・2日 (日・月) 午前9時 写経の会
3月17日 (火) 午後2時 春彼岸大施餓鬼会
卒塔婆のお申し込みは前もってお電話かFAX、
Eメールにてお願いいたします。1基三千円です。
4月5日・6日 (日・月) 午前9時 写経の会
4月8日 (水) 花まつり(降誕会)
4月17日 (金) 午後2時 読経と法話の会(月例法要)
4月29日 (水・祝日) 午後2時 慈音会総供養
5月3日・4日 (日・月) 午前9時 写経の会
5月17日 (日) 午後2時 読経と法話の会
並びに護摩祈祷
6月7日・8日 (日・月) 午前9時 写経の会
6月17日 (水) 午後2時 読経と法話の会
(月例法要)
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◇ 朝が少しずつ明るくなり、日が長くなって参りました。昼と夜との長さが同じになる春分の前後3日、合わせて1週間を、春彼岸と申します。
季節の移ろいに思いを馳せつつ、自分に連なる縁に感謝する機会としていただきたく存じます。
卒塔婆は、ストゥーパの音写で、古くはお釈迦様を偲び、その教えを忘れぬようインド中に塔が建てられました。
タイなどではパゴダ、日本では五重塔や多宝塔のことです。
卒塔婆とは、この塔の代わりに木札を建てて、ご先祖様や、亡き方々をご供養いたします。
お申し込みは一基につき三千円のご志納となります。
◇ 今年も節分祭を賑々しく行うことが できました。
ご参加された方々、ご奉納をお供えいただきました方々、ありがとうございました。
お子さん方の喜ぶ姿は、それだけで福々しいものでございました。
◇坐禅の回会に参加ご希望の方は、下記LINE アカウントをご登録ください。
百観音坐禅の会 @040haupf

◇ 百観音明治寺フェイスブックページ
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